これからのあたりまえ
マイ・エシカル Vol.3
マイ・エシカルへの入り口となる私の興味ごとは「カッコイイ旧い物」だ。旧い物を新しく作ることはできない。どんな環境でどんな扱いを受けてきた物かで違いが生まれる。一般的な評価軸では整理できない、比較する必要のないこの存在は、ハンドメイドで自分オリジナルを作ることの苦手な私にとって唯一無二。そんなヴィンテージの世界に憧れる。利便性を追求し大量生産された使い捨ての新品が持てはやされる時代を飛び超えて、手間と時間をかけてでも次に継ぐ意志を持って扱うことで、製品に対して愛着が生まれる生活、それが今回のマイ・エシカルだ。
レゾラボ001:バブル世代
唯一無二がカッコイイ
特徴:
サスティナブルやエコにほとんど無縁な青春時代。ブランド&洋服好きな祖母の影響と、保守的で画一的な価値観が蔓延していた地方エリアで育ったこともあり、ラグジュアリーブランドやデザイナーズブランドを買い漁る女子大生生活を謳歌。みんなと同じ髪型、同じようなボディコンファッションを経て、突如そんな自分への嫌気が差し、自分の重みづけのために、茶道、華道、古典文学や学び事に目覚める。そこから「物の背景」や「しつらい」「たたづまい」にも興味を持つように。現在は、決して人と被ることのない古着やヴィンテージ物に興味が集中。そんな中、次の世代へ継なぎたいと思える古民家に出会い、夫婦でゆっくりと改修中。
興味ゴト01 きちんと修理できる物
2021年1月にフランスで義務化された、製品がどれだけ安価に簡単に修理できるかを示す「修理可能性指数」※が素晴らしい。日本のメーカーはその点とても残念だ。劣化したパーツさえ交換できればまだ使用できる物も、現在の日本では継続利用を断念せざる負えない場面が多くて悔しく思う。その製品のフォルムやテクスチャが気に入っていればいるほど悔しさは増す。これからセルフメンテナンス可能やメンテナンス体制を売りにした製品・メーカ―が多く出現することを望んでいる。
※電気・電子機器の修理しやすさを0~10のスコアで示し、資源の浪費を減らす消費者の選択を支援するもの。
70年代のコートやワンピース。購入時に劣化が激しかった裏地を総取り換えすればまだまだ現役。
日本製の古着(1970年代まで)は、ほつれれば修理をして継続利用に耐えられるような丁寧な裁縫をされている物が多く好ましい。既製品でもファスナーやホックなど細かいものはほとんどが手縫いで作られている。手縫いはほどき易く、自分でも付け替えることが可能。ほっそりしたサイズ感もGOOD。昔の人は小柄でスタイルが良い。
(右)ヴィンテージのバッグは修理も丁寧に相談して対応してくれるお店があるのでそれも楽しい。
(左)スノーピーク製の鍋蓋は木製の取っ手が経年で負けてとれてしまったが、アフターサービスに連絡するとパーツ単品(¥190)で送付してくれた。
Eth ポイント 創る人も使う人も修理することを前提に考えてみる
興味ゴト02 手間をかけて経年変化を楽しむ物
毎朝、南部鉄器で沸かしたお湯をマイボトルに入れる。鉄瓶で沸かしたお湯は冷めてもまろやかな味が続き、鉄分が身体にも良いと聞く。しかし、鉄瓶の扱いは手間がかかる。余分な水分はすぐにふき取り、錆びないように湯が乾くまで目を配る。全体が熱くなるため蓋を抑える布も必要だ。米を炊くにも鉄鍋だ。同じように仕舞いには目を配る。冬は火鉢。火鉢にかけた鉄瓶でゆっくり温めた白湯は格別。マンションで火鉢?!と思うかもしれないが、これも扱いに慣れてしまえば他には代え難い暖かい時間が手に入る。
(右)それぞれ味の異なる鉄器製品。(左)墨をおこして火鉢に鉄瓶。
テクノロジーや時代が進化すること(安全基準の進化)で必要でなくなる技術や道具がある。しかし過去の技術や道具から学ぶことも多い。少なくなっていく道具を次に継ないで伝えていきたいと考えるのは、別に高尚な考えに基づくものではなく、ただ次の世代の人にもこのカッコよさを知ってほしいと思うだけだ。
(右)一昨年他界した祖母の家からの発掘品。祖母が扱っていた場面が思い出せる物ばかり。
(左)1930年代の英国の銀器。購入時は紫色に変色していたが、重曹に浸し、磨くと銀色を取り戻した。使っていると光が曇り、変色するので定期的に磨く必要があるが、この手間を面倒くさいと思わず続けていると何とも言えない存在感と鈍い光を放つ。銀器につく歴史的な刻印もおもしろい。
Eth ポイント 身近なものから次の時代に継なぐことを考える
興味ゴト03 重くてデカくて不器用な単機能が、愛嬌になる物
高度経済成長期の日本製品の中でも、その当時の新しい技術を盛り込んだ贅沢品だったと思われるものや業務用のものが面白い。単一機能に特化している割には、やたら大きなサイズであったり、頑丈すぎる作りであったりする。スマートさとは真逆。しかしそこには絶対的な存在感と美しさを感じる。これからの日本メーカーの存在意義を考えるにあたっても、スマートさやデザイン性で海外製品と勝負するよりも、この武骨目線で日本らしい技術力を表現し訴求することはできないだろうか。他とは異なる存在になれるヒントのように思う。少なくとも私は、多機能さに美しさは感じられない。誰でも手軽にピントが合わせられる便利さよりは、毎日の道具との微妙な付き合いの中でしかうまれてこない素敵でレアな瞬間を楽しみたい。
(右)業務用コーヒーミル。装飾としてデザインされたものなのか、ガラス受けが可愛らしい。今は元気に稼働しメーカーも健在だが、メンテナンスは不可能らしく、大切に毎朝使用。
(左)業務用ヘアドライヤー。安全性に配慮したベースがとても重い。温度設定とタイマーも現役。あっという間に乾くものの轟音。
家具調レコードプレーヤー&ラジオ(ビクター製)。天板を開けるとラジオ部がオレンジと緑の電球で光る。ばっちり周波数を合わせると、真空管の深く奥行きのある音が聴こえる。2人掛けソファ程の大きさがあるが現在はラジオとしてのみ利用。周波数を合わせるのに毎朝一苦労。
Eth ポイント 利便性や効率の追求を外し、ひとつの行いにフォーカスする時間をもつ
快楽としてのエシカル?
「エシカル消費」という言葉を最初に意識したのは、アメリカでオーガニックスーパーが注目されていた2011年頃。代表されるホールフーズ・マーケットは“少々お高いが食の安全と健康を気にする人たちのスノッブなお買い物”という印象だった。若くクリエイティブでお金持ちだが車や服装にはこだわらず、自分の興味ごとにはとことんお金を使う、そんな新しい価値観が登場していた。形は悪いが生産者の明確なメッセージ付きのトマトをよれよれのTシャツを着てかじっている写真を流通誌で見かけ、『!!おしゃれだわー』と感じたのを記憶している。現在のイメージとは少し違ったかもしれない。そして今、「ロスト欲望社会 消費社会の倫理と文化はどこへ向かうのか」を興味深く読んでいる。本書では、エシカル消費を「禁欲」とは少し異なるとしてる。
「ロスト欲望社会 消費社会の倫理と文化はどこへ向かうのか」第一章「快楽としてのエシカル消費」(勁草書房)より引用
“エシカル消費とは「賢い消費」でなくてはならないのだろうか。(中略)ソパーの議論*は、消費を通じた欲求充足の追及に対するアンチテーゼとして社会や環境への配慮を捉えるのではなく、今日における人々の状況を産業社会的な消費主義に対する憂鬱として捉え、そこでは満たされなかった様々なもうひとつの楽しみの先取りとしてエシカル消費を捉えるもの”(*Soper kate:英国哲学者)
レゾラボメンバーのマイ・エシカルを「興味ごと」から捉えたのはこの考えに近い。社会や環境への配慮を禁欲的なものとして捉えるのではなく、人間の持つ自然欲求的で気持ちよいと感じるものと捉える。かくいう私は、食事をスーパーやコンビニの総菜やお弁当で済ませることも多く、健康も味もゴミもさほど気にしていない。本レポートで書いたあれこれは、賢いわけでも環境配慮でもなく、ただ好きなことだ。
じわじわと広がっているエシカルマインドは、社会環境の変化を背景に、ただ消費することに憂鬱さを感じてうんざりしていた生活者の気持ちにぴったりと寄り添う思考であったのではないか。エシカルな選択、それはレゾラボの研究対象である、「時代と生活者が共振したことで起こっているビッグウェーブ」だ。
(写真)自宅:時代毎で進化する物、手入れして使い続ける物を、受け入れて混ぜて楽しむ生活。
文章:加藤 麻希
わたしの「カッコイイ旧い物」SHOP
①HYST(hlywd.co.jp)
東京都中央区。週に一度だけ開く古物店。本業は写真スタジオという会社が運営。それもありインスタグラムで事前に配信される商品写真が秀逸。開店日には欲しい物を目指した購入希望者で列ができるほどの人気に。関東圏の邸宅から発掘されてきた家具が中心。
②REBUILDING CENTER JAPAN (rebuildingcenter.jp)
長野県諏訪市。「家のつくり方、つかい方、なくなり方、を新しくする」通称リビセン。古材と古道具を販売する建築建材のリサイクルショップ。彼らの考え方に賛同して全国からサポーターが集結する。お店のスタッフが笑顔にあふれ気持ちよい。
(写真)古道具店・材木店・カフェなどが入る長野県のショップ。
③百年百貨店
茨城県水戸市。醤油蔵を改装した建物が印象的。旧い日本建築から発掘した家具が中心。お店は無人で、気に入ったものがあれば電話してスタッフさんを呼び出すシステム。ゆっくりと選べるところがよい。