Text & Photo by さとう未知子
船場のSocial Design Portでは、船場社員と社外パートナーが共に現地に足を運び、物事の本質や地域課題を学ぶツアーを実施しています。今回の目的地は、日本有数の木材産地である奈良県吉野地域。木材産地としての現状や、地域とデザインを結ぶ人や企業の取り組みを学びました。
今回の<前編>レポートでは、吉野川流域に広がる製材所の風景、木と共に生きてきた人々の歴史とそこから生まれる素材のストーリーをお届けします。
吉野でゼロ次産業を考える
東京から約5時間、大阪から1時間半。大阪と奈良のローカルな地域を走る近鉄線の窓越しに広がるのどかな風景を追いかけ、今回の旅の目的地・奈良県吉野郡に辿り着きました。言わずと知れた木の名産地であり、吉野杉は日本三大美林のひとつとして知られています。
今回、吉野がSDPツアーの地に選ばれた背景には、「ゼロ次産業」を考えることがエシカルな社会を未来につなぐことの鍵となる、という船場 成富法仁の想いがありました。
「一次産業やそれ以降の産業が成り立つ以前の段階に焦点を当てたのが『ゼロ次産業』です。自然環境や生態系を保全し、持続可能な資源利用が可能にする『環境』の視点。地域の知恵や伝統、文化を継承・共有することで、ものづくりを支える基盤を育む『知識と文化』の視点。そして、社会的なつながりや地域コミュニティを育む『コミュニティの形成』の視点。この3つがそろうことで、産業の循環と持続可能性が実現できると考えています」(成富)
ゼロ次産業の視点を持ちながらデザイナーが地域に関わることで、どのような循環を生み出せるのか。森の空気を吸い、自然の中から素材として生まれ変わる木のストーリーを体感し、次のデザインにつなげる。エシカルなデザインの可能性を見つける、新たな旅がスタートしました。



目次 ツアー行程
木の街を知る
「吉野林業の歴史と奈良県の森林施策の現状」フォレスターアカデミー 野口貴士さん
「吉野貯木と吉野と暮らす会の取り組み」吉野と暮らす会 辻健太郎さん
木の街の風景
「木と人を結ぶ、交流拠点となる場を運営する」吉野杉の家
「木の性質を生かし、生産技術を向上させ、ニーズを広げる」株式会社桜井・株式会社丸商店
「産地のすぐそばで、針葉樹の家具をつくる」PROP
「貯木場で生まれる、新しい木の街の風景」吉野と暮らす会レクチャー
木の街を知る:時代を超えて進化する木材の使い方
吉野地域は日本の林業発祥の地として500年の歴史を持ち、室町時代にはすでに造林が行われていたという記録が残されています。吉野林業の中心地は、川上村・東吉野村・黒滝村の三つの地域を中心に栄えてきました。
その一方で、吉野町は吉野川の下流域に位置し、広がる平地を利用して、「貯木場」が設けられました。伐採された原木が吉野川を経由して集められ、市場に運ばれます。貯木場エリアに多くの工場が集まり、製材され、さらに全国各地へと送られていきます。

ツアーの初めは、かつて吉野木材協同組合連合会の事務所として使われていたという、歴史を感じさせる建物でオリエンテーション。この建物は、昭和14年に吉野町に貯木場が設けられたときに建てられ、現存する当時の遺構としてはほぼ唯一残されているものだそう。ここでは、奈良県が運営する奈良県フォレスターアカデミーで職員を務める野口貴士さん、吉野町の製材所を営みながら一社団法人「吉野と暮らす会」で活動する辻健太郎さんの話を聞きました。

最初に、フォレスターアカデミーの野口さんより、吉野林業の歴史や吉野材の生産と流通について、実際の活用事例を交えながらプレゼンテーションしていただきました。

森林面積が県土の約77%を占め、そのうち95%が民有地である奈良県には、昔から人々が木を活用してきた長い歴史があります。西暦1500年頃から森林が造られ、人工的に木が育成されてきました。吉野地域では「密植・多間伐 ・長伐期」という独自の育林方法が特徴。通常、他の地域では1haあたり2000本から~3000本の木が植えられるところ、吉野では約1万本を密植します。若木のうちから枝打ちを行い、成長を遅らせながら、徐々に間引いて木を活用する。この方法により、無節で年輪が細かい木が育ちます。また、根元から先端まで太さが均一でまっすぐな木が育つため、吉野材ならではの高い品質とブランド価値が生まれるのです。
「古くは大阪城や伏見城の築城に吉野丸太が使われたという記録があります。1500年代〜近世中期は、15年、20年という短いサイクルで小径木を生産し、農業用の木材を提供してきました。そして、その後は酒樽・木桶としての需要が増え、今のような年輪が細かく、節のない材料が大量に生産されるようになったと言われています」(野口さん)
現代では建築資材として使用されるようになった吉野材。しかし、戦後復興期に全国的に行われた造林にもかかわらず、現代では木材の需要が激減しています。さらに、安価で安定供給が可能な外材に押され、木材全体の価値が低下。ライフスタイルの変化に伴い需要が大きく減少しています。この結果、林業は衰退し、林業従事者の高齢化、後継者不足や森林管理の放棄といった問題が深刻化。素材を山から出すことすら困難になるなど、地域における課題が浮き彫りになっています。



これまでは農業用木材や樽丸林業など、時代のニーズに合わせて求められる木材の形が変化してきました。現代では「小さすぎても大きすぎても売れない」という状況が続いていると言います。
「ヒノキは大きければ神社仏閣 に使われることもありますが、杉の場合は大きすぎると用途が限られます。現在、吉野では杉がどんどん成長していますが、高齢化や人手不足の影響で山から木材を出すことが困難な状況です。さらに、杉は一本ごとに性質が異なるため、乾燥にも多くの手間がかかります。魚料理における調理師が素材の味を引き出すように、木材もその特性を理解して使うことが重要です。設計者や大工など、木の特性を生かして活用していただける方々に、その魅力を伝えていくことが私たちの役割だと思っています」(野口さん)

【参加者の声】
“持続可能な吉野林業ブランドを発信することの重要性を感じた。一方で、人手不足などにより、これ以上の流通量の拡大は難しい現状がある。高品質な木材の背景をユーザーに伝えることで、理解と価値の共有が深まり、ファンを増やすことができる。特に、設計者が木材の背景を伝える役割を担うことが重要だと感じた”
“同じ関西に住みながら、今回のレクチャーを受けるまで、吉野のことを全然知らなかったと感じた。
レクチャーを受け、大変魅力的に感じたので、このことを吉野へ行かないと知れないのではなく、大阪などで吉野のことを知り、吉野へ行きたくなるきっかけをつくるといいのでは、と思った”
続いてのレクチャーは、一般社団法人「吉野と暮らす会」の辻健太郎さんより、吉野材の新たな価値を生み出し、木のまちの暮らしを発信する吉野と暮らす会の活動を紹介。さらに辻さんは、家業であるヒノキの製材所を営むかたわら、木を伐採する「やまいきさん」の修行を始めたと言います。
吉野では、山に入り、木を伐りだす職人のことを、山に生きる・山に行くという意味をこめ、「やまいきさん」と呼びます。


辻さんは、「これまで木を扱う仕事をしてきたものの、実際に誰がどのように木を伐り出して市場に出されるのか全く知らなかった」ということ。吉野地域は急峻で、ヘリコプターに出材を頼ってきたところ、現在ではヘリコプター会社も全国に4社あったのが1社に減り、燃料代も高騰。「材価は落ちる一方で、山から木を伐り出してくることも収益的に見合わないという現状を実感するようになった」と話します。
「今、私たちが木を使うことができるのは、昔の人たちが後世ために商売ができるよう、高品質で安価で取引ができる仕組みをつくりあげてくれたおかげ。現在では、建築資材としてだけでなく、他地域やさまざまな職種の方々とコラボレーションし、新たな木材需要を生み出そうとしています。ただ、現時点でそのような需要がきても産地がこたえられないという現実もある。山からこの場所へ運び出す工程や段取りについて、山に携わる自分たちが知識を深めなければならないのではないかと感じ、『やまいきさん』から学ぶことを始めました」(辻さん)

これまで守り続けられてきた林業の歴史。良い品質・素材には、伝えられるべきストーリーがある。次の世代にどのようにつなぐか、それは林業従事者だけでなく、社会全体の課題として捉えることが必要だと感じさせられました。
林業の歴史、木材が届けられるまでの工程、そこに関わる人たちの思いを聞いた後は、製材所の風景を実際に感じるための街歩きに出発しました。

木の街の風景① :木と人を結ぶ、交流拠点となる場を運営する
吉野杉の家

吉野川流域に立つ「吉野杉の家」。建築家の長谷川豪さんの設計で、2016年夏に開催された「HOOUSE VISION 2016 TOKYO EXHIBITION」のために建てられました。長谷川さんからは、「展示会のためにつくり、壊すのは本意ではない。移築前提で参加したい」という思いがあり、吉野杉でつくられた家は、吉野に移築されることになりました。



中に入ると、床壁天井、すべてが木に包まれる空間にぬくもりを感じます。
吉野杉の家は、運営・管理を「吉野と暮らす会」が行い、「ホストがゲストにもてなされる」という一風変わったサービスも。1階がコミュニティスペースとなり、地元の人々が集い、ゲストと共に食事をしながら交流を深めます。


目の前に広がる、吉野川の風を感じながらひと休み。いつまでもここに座っていたいと思う、懐かしさや温もりがあります。

木の街の風景②:木の性質を生かし、生産技術を向上させ、ニーズを広げる
株式会社櫻井





続いて訪れたのは、構造用集成材を製造する株式会社櫻井。高品質な良材をつくり出すために乾燥に手間をかけ、含水率・強度の試験をクリアしたものが出荷される工程を見学しました。櫻井の松尾さんによると、かつての日本建築は木の特性を見極めながら時間をかけて建てられていましたが、現代では時間の制約があり、十分に乾燥していない木材を使用すると後に歪みが生じる可能性があるといいます。そのため、木材の個性を理解し、丁寧な加工を心がけることが重要だと語られました。
株式会社丸商店

集成材製造や特殊加工技術・突板製造を手がける株式会社丸商店では、突板の製造工程や特殊加工の製造風景を見学。代表の丸允彦さんのよると、「ここ最近は、設計者や施工者が製材所を見学に訪れる機会も増えています」とのこと。
「どのように手をかけてつくられているかを知ってもらうことで、木の使い方が変わってくる。林業家と連携して、山に生えている素材から製品まで一貫してつくり上げることも可能です。直接やりとりすることで柔軟に対応することもできるので、とてもありがいたいです」(丸さん)




木の街の風景③:産地のすぐそばで、針葉樹の家具をつくる
PROP

吉野町で家具工房「PROP」を営む湯浅則夫さんは、大阪で修行を積み、奈良で独立後、吉野町で活動を始めました。
「当初は輸入材を使った家具製作が中心でしたが、吉野町の針葉樹に着目し、この地に工房を構えることを決意。製材所が集積する吉野町では、細かなオーダーや製材所間の連携により、必要な材料を柔軟に手に入れることが可能です」(湯浅さん)
針葉樹は家具に向かないとされてきましたが、湯浅さんは吉野の杉や檜の品質を活かした家具づくりに挑戦。その結果、針葉樹を活かした製品の需要も増えているということ。
この場所だからこそ、できること。家具づくりを通じて、吉野材の新たな可能性を引き出している湯浅さんの活動は、地域の魅力をさらに広げる一端を担っています。





木の街の風景④:貯木場で生まれる、新しい木の街の風景
吉野の貯木場エリアでは、昔ながらの木の街の風景に、新たな風景が少しずつ加わっています。その象徴が「吉野貯木場モニュメント」。デザインを手がけたのは、吉野町出身で東京の大学を卒業後、地元に戻ったデザイナーの富松暖さん。富松さんは「吉野と暮らす会」のメンバーとして、吉野ブランドの再構築に取り組むなかで、「貯木場に新しい風景を」という想いからモニュメントとテーブルを製作。このモニュメントは、乾燥前の木材を積み上げ、貯木場らしい風景を創出しながら、乾燥後に木材が活用され、新たな木材へと更新されていく「循環」をテーマにしています。



「これまで、初めてこの場所を訪れた人に、ここが木の街だと一目で分かる象徴的なものがなかった。このモニュメントを設置することで、対岸からも吉野貯木場だと一目で伝わる存在をつくりたいと考えました」(辻さん)


【参加者の声】
“吉野杉の家のサービスや、街歩きへの参加を通して、情報やモノを得るだけでなく、「時間や体験を共有する」ことの効果や貴重性を体感し、自身の日常や業務においても大切にしていこうと思った。時間や労力はかかるが、関係づくりにおいて、とても大切だと実感した”
“林業の衰退が、いつしか産地だけの責任とされる風潮となってしまったことを、辻さんの話を聞いて学んだ。吉野の木である前に、日本の宝であるということを日本人が自覚し放置林の問題や、国からの補助金が成り立たない現在の林業の問題に向き合うべきだと感じた”
この場所に訪れて初めて知る、木と人が紡いできた歴史の積み重ね。そこには、人々が長い年月育て続けてきた山と受け継がれてきた素材生産の技術があり、それらが地域産業と暮らしを支えています。このストーリーを知ることで、私たちも街の人たちと連携して、この価値をさらに広める活動ができるように感じます。 翌日は、吉野杉の伐採現場へ。林業の核心に足を踏み入れます。


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